2007/06/22

彼女たちが暮すのはNYのどこ?

(監督の日誌から)
もともとどうしてNYで映画を作ろうと思ったか、それは…
50歳で企業の映画基金をいただいて2ケ月、NYUのテッシュ、日本で言う映画学科に短期入学したのがきっかけ。
NYUの校舎はダウンタウンのイーストビレッジとグリニッジビレッジの境。 そばにワシントンスクエアがあり、校舎の前はブロードウエー、 向かいにマクドナルド(注文しやすのでわりと利用、でもコーヒーの発音がなかなか伝わらなくて…) 、斜向かいに大きなタワーレコードがあったっけ(倒産?)。
2ケ月暮らしたのはアスタープレイスという地下鉄駅から徒歩3分ぐらいのところにあるNYUの学生寮。路上の植え込みを隔てた向かい側にセントマークスブックストア。
退屈な夜にお店にはいっては時間をつぶした。そばの ビル2階には日本食のサンライズ。「ばかうけ」や「亀田の柿の種」を買って、寮でばりばり…なんだかお煎餅がやたらと食べたかったんです。
授業は最初の一週間が座学で、残りはほとんどマンハッタンを移動して16mm映画を撮影。6,7,8月のNYの暑さはすごいですよ。 汗で地図がすぐにボロボロになった。
それにしても、生まれて初めてのアメリカ、しかもNYだ。到着した翌日から学生証につける写真を写したり、手続きのため大学とPC/コピーが使えるキンコーズの往復。 おまけにフィルム代がかかるので、なるべく食事は自炊しよう、と思い、近くのスーパーKmartへ毎日通う。なんだ、買い物袋さげちゃって、東京の生活と同じじゃない。しかも、一人暮らしをすっかり忘れて、大量の塩(それもすごくまずーい)や10k米袋くらいの袋詰めアイダホのジャガイモを買っちゃつたり!(帰国までに食べないと荷物になるからと毎日ジャがバター生活) そんな些細なことどうでもいいの。とにかく、このとき映画に出演してくださったのが、子どもを生んだばかりの恵美さんだった。
チェルシー
彼女の住いはチェルシー。15年前、演劇学校の名門HBスタジオに入るためにやって来てからずーとチェルシーに住み続ける。
治安はいいし、庶民的で、演劇関係の人が多いのが特徴。 花屋さんのベンチにゲイカップルが坐っていたり、なんか、学生街と違いのんびりしている。水戸の静かな町で育った彼女がよく、まあ、この騒々しいNYで、と思ったが、チェルシーは歴史的エリアもそばにあり、静かでとてもいい場所。人々も優しい。一人娘もいまや小学2年生になった。
アムステルダム通り
恵美さんの芝居仲間その子さんは、同時多発テロの翌年、一人息子を出産。マンハッタンで演劇と子育てはキツイだろうな…と思いつつ、どういうお母さんになっていくのか、興味がわいた。
彼女は、コロンビア大学近く、アムステルダム通りのアパートで、米人のサラリーマンの夫と暮らす。アップタウン…ダウンタウンしか知らなかったので、最初にアパートを訪ねたとき、壮麗なコロンビア大学をみて別の国へきたみたいだった。その翌年から、今度はコロンビア大学を中心に映画を作るなんて、想像もしなかった。いま思い返すと、その時みた尖塔は、リバーサイドチャーチとコロンビア大学ユニオン神学校のもの。同じ大学でもNYUとも全く雰囲気が違う。その子さんは、新しいプロジェクトの立上げ、仲間との劇団運営、頼まれるままに舞台の演出を引き受け、生活のために日系新聞でアルバイトもしている。
さらに、保育所は高額でベビージッターも高いので、どこへ行くにも子供づれ。夜の10時、子どもが寝た後だけが、大切な自分自身の時間だという。
ニュージャージー Pavonia Newport
「夕方いらして下さると、夕陽がきれいですよ」奈津美さんとはインターネットで知り合った。留学から戻ると、私はすっかりNYの虜となって、仕事、家事が手につかない。なんとか、NYで暮す方法はないものか!と毎日パソコンでNY情報を集めていた時、彼女と出あった。一年後、NYのウクライナ料理店で初めてお会いし、すっかり意気投合して出演をお願いした。奈津美さんは、念願の家賃の安い、NJにある低所得者用アパートへ入ったばかり。独身OLにとって、マンハッタンの家賃は高すぎる。部屋をシェアすると今度はプライバシーがない。NY生活でもっとも大変な事の一つはアパート探しだという。
撮影は昼になった。なにしろ、初NJである。パストレインにのるのも初めて。改修されたばかりのワールドトレードセンター駅からホーボーケン行きに乗車して、先ず眼にしたのがテロで崩壊したコンクリートと鉄骨。その脇をそろそろと地下鉄が進む。ニューポートの駅前には花壇や植え込みがあり、クリスマスには美しいツリーが、夏は開放的な青葉が風にそよぐ。彼女に連れられてハドソン川へ向うと、見えてきました!うーーん、絵のようなマンハッタン!。「あそこにワールドトレードセンターがあったんですよ、1日にして姿を消すなんて、信じられません」
ブルックリン Grand Army Plaza
駅をおりると、まず彫刻で飾られた立派な門に驚く。そのそばには広大なプロスペクト公園。公園には日本庭園やエジプト芸術で名高いブルックリン美術館がある。公園から放射状に広がる通りの一つ、President Streetに典子さんの自宅がある。古きよきNYの町並みをそのまま残すこのエリア。階段のついた3階から5階ほどのブラウンストーン住宅が続く眺めは壮観だ。ほぼ毎月、数ブロックを閉鎖して映画の撮影が行なわれているという。
アートの本場NYで35年間もこつこつと創作を続け、素敵な町にご自宅まで持つご夫婦ってどんな方たちであろう。ちょっとドキドキしながらお訪ねすると、出ていらしたのは知的で生活を大切にする楽しいご夫婦だった。率直に、時にはユーモアを交えてNYで作品が売れるまでの修行生活、毎日の創作生活を話してくださった。困難を乗り越え、強い絆で結ばれたご夫婦がいるのも、またNYの魅力である。












2007/06/17

「ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由(わけ)」上映会開催について

DVD/VHSの販売を開始しております 各1800円 図書館・公共施設価格3000円
日本語版、英字幕版がございます

ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由(わけ) 」 は(有)テス企画の自主製作作品です。特定のスポンサー、支援団体はなく、製作費は自己資金と映画貸出料、入場料などで支えられております。
ニューヨークで暮らそう! 留学したい! アートや演劇をやりたい!
そしてニューヨークが大好きな皆さん、上映会を開きませんか?ご希望の方はご連絡ください。
(有)テス企画   柴田、泉
Tel&Fax 03-5991-3486
E-Mail 
cinemajournal@mb.point.ne.jp                                                             
○映画感想アンケートより (1/14 /2006 東京ウィメンズプラザ視聴覚室
☆多くの人たちがアメリカに行きますが、その地で暮すことの大変さがよくわかりました。安易にアメリカに行こうとする若い人たちにとって、この映画はよい教科書となると思います。(女性)

☆ニューヨーク(以下NY)での暮らしは日本でのしがらみやいろいろな関係がない分、素の自分の力が試されるものか知れません…
落ち込んだときなど「他人は他人、自分は自分と言い聞かせる」というインタビューがありましたが、自分の選んだ道だから当然と言えば当然ですが、それでもやっていけるのは夢があるからでしょうね。そうでないと今の日本のように人の足を引っ張ったり、羨んだり、と卑屈になりがちです。私は東京で夢を持って生きているのですが、男と女の違いは大きいかもしれません。(男性 50代)

☆女性の仕事、子育て、生活など生き方について色々考えさせられる作品でした。私は今年大学を卒業し、4月に就職をするのですが、自分にとって本当にやりがいのある仕事を探していきたいと改めて思いました。この作品の4名の女性は、仕事にやりがいを持ち、とても輝いていましたが、この時期にこの作品と出会えてとてもよかったです。(女性 20代)

☆ずっと楽しみにしていました。大変な状況で本当に完成されるのかな…と思っていましたが、やはり低力がありましたね。元気をもらいました。(女性)

☆とても面白く、また興味深かったです。NYというとやはりキャリアウーマン的な生活を想像しますが、とても生活感のある4人の方たちでした。 (男性)

☆NYで夢に向けて努力している一方、老いた親が日本に存在しているというジレンマ…日本人女性が直面している問題が伝わってきます。(女性)

☆映画に出てくる作山先生が中学の先生のときの生徒です。映像のなかで、日展の作品がでていましたが、その時のモデルをしており、とても懐かしく拝見させていただきました。先生のNYでの活躍が活き活きと描かれているのを見ることが出来ました。(女性 30代)

☆生活が大変でも人や周りに流されない潔い生き方…それが、彼女らの共通点だと思う。日本にいても自分というもの(=自分のはっきりした主張や考え)を堅持すれば「流されない」で生きられるのではと考えます。そのためにはどこにいても「覚悟」はそれなりに要ることを映画から教えられました。自己実現のためには体力勝負ということもわかりました。(男性)

☆我が家の長女もNY(クイーンズ)に15年住んでいます。(留学したまま帰らず)3人の子どもを育てながら今も張り切って生活しているようです。自分の娘の生活とダブりました。(女性 50代 )

☆才能を持った人が才能を発揮できる国、その受け皿と、日本を去りNYへ行ったしがらみのなさがくっついたとき最大のパワーがでる。感動!

☆大雨の中、どうしよう、と思いながら参加しました。とてもよかったです。女子中高校の若い子達に見せて欲しいと思います。「夢」を持たせるためにも。(女性)

☆女性のタフさが伝わってきました。家庭をもっていても夢を追いかけ続ける姿にとっても感銘をうけました。4人の女性たちのあの自然な表情をだせるのはすごいと思いました。(女性)

☆4人の女性と自分の違いは”気力”なのだと思いました。本人に焦点を絞ったところ、本人の回りの人間関係などをことさらフォーカスしないところがすがすがしかったです。(女性)

☆ドシャブリの雨の中、今日ここで素晴らしい映画を見ることが出来ました。次回作「原口鶴子」を楽しみにしております。(女性)

☆1、とても深く内面を描いていることに感銘を受けた。2、風景と音楽が溶け合っていて素敵だった。 3、主人公の女性の皆さんが、まっすぐな輝きのある目をしていて、印象的。4、視点の鋭さが光る作品だった(女性)

順次、名古屋、横浜、大阪での上映会のアンケートを整理して公開いたします。





2007/06/03

完成披露試写会の日

2006年1月14日(土)。午後6時開場、6時30分開映 東京ウィメンズプラザ視聴覚室。 (監督の日誌から)
朝から大雨で!
キャリアカーにDVCAMテープとプログラム、仕事の分担を書いた荷物を積んで会場までいくつもりだったが、雨で濡れるために急きょ、長男に車を出してもらう。
交通渋滞のため、受付や案内を手伝っていただくシネマジャーナルの仲間、お世話になってるシネ・ブレーンの社員の若者たちとの待ち合わせに間に合いそうもない。
急きょ、次男と私は最寄の駅で降り、電車で会場へ駆けつける。

すごい…6時前にもう人が集まり始めている。会場設営の間を通って、お客様が席に坐り始めた。
懐かしい友人の顔、お世話になった映画関係の方々。
ああ、こうなると、人に指示を出すどころか頭が真っ白になって何をしてるのかわからなくなる。
記帳のため入口が詰まり始めた。
名前だけでいいですよーーー、とにかく中へおはいりくださいーーーい。
会場は定員160名、折りたたみイスを10脚くらい出したので170名~180名はいらしたと思う。

司会を引き受けてくださった佐藤さんがマイクをもって、喋り始める。
先ずはじめに監督とスタッフの挨拶…。
長年映画雑誌を作っているので、東京国際映画祭で監督の舞台挨拶を見ている。
それを思い出しながら、スタッフ紹介などしたようだが、あまり覚えていない。

上映が終ると、拍手がわいた。
そして、会場のみなさんにマイクを向け、お名前を呼んで、感想を聞いた。
企画、製作、脚本、撮影、監督、編集を全部自分でやった作品は、はじめてだったので、どのようなご感想がでるか前の日は眠れなかった。
が、好意的な感想でほっとした。
※知り合いということを差引いてもほめられることはとても嬉しい。

ニューヨークで一人で映画を作るという事は、移動も撮影交渉も撮影のときもほとんど一人。
チェルシー、コロンビア大近くの114丁目、ニュージャージ、ブルックリン、42丁目、34丁目…と撮影場所はいろいろ。
宿は女性ばかりのドミトリー6人部屋。
移動はキャリアカーに機材をつんで地下鉄利用。
よく機材を盗まれなかったね、と驚かれた。
取材先にテープをおいてきたり、バッテリーを忘れてきたり、キャリアカーの紐をなくした。
しかし、大きなアクシデントはなかった。たまたまラッキーだったと思う。